2020/09/07 23:17


そんなイメージをしてる。


それは数年前にネットサーフィンをしていて気がついた事なのだが、欧州渡来以前の南米に弦楽器の存在を示す証拠がない。

今でこそギターラやクアトロ、レキントやカバキーニョにチャランゴなどなど弦楽器の豊富さを誇るが。欧州人が持ち込むまでは太鼓と笛ばかり。

考古学的な成果は弦楽器に関しては皆無なのだ。


そこで、私は彼らの身になって想像した。


何故、弦楽器を避けていたんだ? 

あれほどの文化を築いたインカの民をはじめ。天文学や測量術を発達させた知恵者たちが、同じく数学の果実で有る弦楽器に至らないわけがない。


そしてある晩ひらめいた。

あれはマドリードのクンビアフェスに出演して踊り散らかし、極上のサティバをたっぷり吸って、椅子と一つになり満天の星空を見上げていたその時。だったかどうか。


兎に角ひらめいたんだ。

鳥と蛇の化物を神と崇め、生贄の心臓を捧げるインディオ達。彼らは恐怖によって支配されていた。


そして欧州人がやって来て、黄金を盗み、文化を破壊し伝染病と弦楽器を持ち込んだ。

欧州人は恐怖の神ケツァルコアトルと信仰さえも破壊した。


それは侵略であった。


それは破壊であった。


そして同時に解放であった。


それまでインディオ達は生贄の命を神に捧げていた。


生きること、つまり息。

笛とは自分の息を、命を音楽にして神に捧げる道具である。


一方、弦楽器の源は弓。

弓は狩猟や戦争のための武器であり、それで奏でられた音楽を神に向ける事は如何なる意味があるか。


日本の梓弓は魔物に対する武器である。


まとめとして。

欧州人渡来以前の南米において。神は人々が武器を起源とする道具を自らに向ける事を嫌い、弦楽器は禁忌であった。


私にはそれが最も説得力を持つ仮説に思える。


それを支持した記述などが見つからない限り、その仮説を証明するのは無理だろうとも考える。

証拠の不在を根拠にしているのみだから。

ただ、テオティワカンやマチュピチュで古の彼らの立った場所に立ち、そこの空気を嗅ぎたい。

そして、その経験を経てどのような音楽が自身を通して産まれるのか。それに立ちあいたい。






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BASE

私は家宝級と言っていますが、アート関係の友人はこの三線を見て。

『国宝になるね!』と。


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